チラシの裏から矛盾を叫ぶ

とある腐女子と雑感と掃き溜め

推しカプが恋愛しない

私は腐女子である。

 

そりゃもうどこにでもいる腐女子で、好きなジャンルと好きなcpの話をして、公式からの供給にむせび泣いて、ツイッターで妄想をして、「クラスタ」と呼ばれる同好の士と語り合うオタクで腐女子だ。

 

そして当然のことながらいわゆる二次創作というものもやっている。

推しカプの二人が一緒にいる瞬間とかその理由とかどうしてその二人が絡むことが尊いのかそういうものをふんだんに練りこんで創作をしてきた。時には年齢制限をつけたものも創作した。私の頭の中で二人は付き合っていたし、本編で描かれる以上の関係で、セリフの一文、一描写にたくさんの意味を見出していた。

推しカプは付き合ってる。スケベなこともする。本編で匂わされている描写はきっとその比喩なんだろう。そんな風に作品を楽しむ後ろめたさはいつもいつもあったけれど、その情熱かあるからこそ楽しめるところもあった。

個人的な嗜好なのだけど、私はどちらかといえば、ジャンル自体にどハマりしなければ二次創作をするようなタイプではない。なので一度ハマったら何年も同じジャンルを噛みしめるし、二次創作、同人誌も推しカプで何回も何回もかくような腐女子だった。

そして今も、同じように推しカプというものがある。二人の関係性に萌えて、本編での二人がいるところと会話が好きで好きで、本編に対する考察も、二人に対する考察もたくさんしてきた。

だけど、最近になって気づいた。

なんとなくだけど推しカプに向ける感情が今までとは少し違うことに気づいた。

 

それは、「ああ、この二人は恋愛をしていないんだな」ということだ。

 

何を当たり前のことを、と思うだろう。私もそう思う。当たり前だ、本編は男性同士の恋愛を描いたものではないし、一つ目的に向かっていく過程で生まれていく絆を恋愛とかそういうものにくくって勝手に妄想して楽しんでるだけなんだから。普通に楽しむ分にはこう言う妄想、と言うのは余分なもの。そうやって、作品自体面白いな、で、済ませてるものだってたくさんある。

でも違った。その推しカプは「恋愛していない」んだ。私が好きな彼らは恋愛をしている姿じゃなくて、ましてやそんな放送制限がかかるようなこともしない。本編でそれが描かれるわけもない。

ただこの二人が一緒にいることだけは幸せだった。

いわゆる「カプ解釈」というやつの一つなのだと思う。私が辿り着いた彼らに対する解釈は「恋愛をしない」なのだと思う。

それから、同じジャンルの他のカップリングや他の作品も読んだりしたし、かいたりした。そうしたら、彼らは恋愛するんだ。きちんと好きだと言い合って、朝チュンを迎える。幸せだねって言い合える。だけど、どうあがいても、推しカップリングが恋愛をしない。本編で描かれている以上は何もなく、その描かれていることを深めていくことでしか二次創作しようという気力がなくなってしまった。

 

それから、私は二次創作であからさまな恋愛描写を描くことが少なくなった。いかにして推しカプが互いに影響しあっているか、絆が大きいか、二人が人間としてどう関わっているか、そんなことを書いた同人誌や作品を書くようになった。

よくある二次創作のスケベが読めなくなった。彼らが好きだとささやき合う描写を「解釈違い」と思うようになった。あんなに楽しかったはずのカプクラスタと話すことが怖くなった。「解釈が違う」なんてヒステリー、起こしたくなかった。結果、ツイッターを離れた。

パロディをかいてもオールキャラになってしまって、肝心の二人は愛を語り合わないし手も繋がない。

あんなに好きだった推しカプが、今では「恋愛描写がある推しカプは読めない」なんていうくらいになってしまった。

 

そうなってしまった理由は簡単だ。

わたしはきっと原作の彼らが好きなのだ。自分の中で思い描く彼らは単なる妄想の出来事でしかなくて自分の中で恋愛をしている彼らをわたし自身が否定してしまったのだ。こんなのは違う、これはわたしの好きなA×Bじゃない。そんな風に思ってしまったら最後、彼らにそういう性愛はないんじゃないか、と思いはじめて止まらなくなった。同時に、すぐに恋愛に結びつけようとする自分の浅はかさに自己嫌悪した。なんだか生娘っぽくてちょっと笑えてきた。

 

原作で二人の絡むシーンを読んだら、そこには私が大好きな二人がいた。何度も何度も読み返してセリフを覚えたそのシーンを見ていたら、たくさんたくさん感情が込み上げて来た。

この二人が出会えてよかった、恋愛だけが感情じゃないし、それだけで繋がってるんじゃない、と頑なに言い張る自分がそこにいた。

 

大半の腐女子はいう。

「この二人の関係性が萌えるんだよ」と。

「だから恋愛じゃなくてもいいんだよ」と。

同時にこうも言う。

「それとは別に推しのスケベな顔が見たい」と。そのために二次創作するんだって。

そう言う生き物なんだ、腐女子って。

わかっているからこそ、私だって言いたい。

「だったら恋愛じゃない関係で二人の二次創作してもいいよね」と。

正直、こんなことではてブを書いてる時点で腐女子の戯言でしかないのだけど、夏コミ前に全く推しカプが書けなくなってしまったのでここできちんと自分の中で整理しておきたかった。

カップリングという以上、恋愛要素があればいいのだろうかとも思うけれど、自分が考える彼らはもう違うのだ。きっと二人は二人だけの関係性を築いていって、それは恋愛というもので括られるだけではない。

私が書いていた「恋愛要素のある」推しカプが好きな人もいるだろうし、それを求める人だっているけれど、もうこれはどうしようもない。 

だって私の中で彼らはもう恋愛をしない。

けれど、彼らの関係は続いていくし、私が描けるのはそこなのだと気づいた瞬間から、腐女子としては生きづらくなっていく。それでも、やっぱり「恋愛しない推しカプ」を思い描くのである。

 

…もしかしたら明日恋愛してるかもしれないな、と時折よぎるけれど、そればかりはやっぱり何とも言えない。