チラシの裏から矛盾を叫ぶ

とある腐女子と雑感と掃き溜め

感想神聖視が怖い

 

よく、「感想がもらえなければ同人作家は筆を止めてしまう」という話を聞く。

 

本当にそうなんだろうか。

そもそも同人は趣味の話だし、感想をもらえるなんてこと自体が都市伝説みたいなところがある。私も相当自分の中でこれは、と言うテンションが上がらなければ感想は送らなかった。でもここ数年の同人感想ブームに乗じてなんとなく送ったことが何度かある。感想頂いたから自分もかかなきゃ、みたいなやつ(この場を借りてお詫びいたします)

昨今、感想を言おう、みたいなムーブメントが起きているが、あれは正直言ってなんだかきもちがわるい。感想のテンプレートを使ってまで感想を送るなら無理に言わなくてもいいんじゃないのかと思ってしまう。感想を求める、って言うのが承認欲求を満たすための同人誌、みたいな感じがしてしまうからだ。

 

どうして読み手が感想を送るのだろう、とふと考えたことがある。

純粋な好き、がその大方を占めている。まっすぐに向けられた言葉はどこかくすぐったいけど、作品を真正面に好きだと言ってくれる言葉でとてもありがたい。

でも、もっと描いて欲しいとか、もっとあなたの本が読みたいとか、待ってますとか応援してますとか。本の感想や作品の感想自体よりも、そういうものが透けて見えるいわゆる「感想という名のこちらへのリクエスト」は正直すごく重い。

期待に応えられる自信もなければ、そんなのを負う義務もない。こっちは好きで描いてるだけなんだから。

 

感想がもらえるだけいいじゃないという人がいる。ありがたいことだから、それだけで贅沢いうなという。

ありがたいと思っている。思っているからこそ、自分の中で抱えきれない時がある。

あなたが好きなのって結局作品じゃなくて自分好みの作品を描いてくれる人なんじゃないの?とうがった見方をしてしまうことがままある。

 

じゃあ描き手に感想を送るのやめようかという人がいる。それこそ、私ごときの話でやめてるならきっとそれはあなたがその作家にリクエストしようって下心があったんじゃないの?

感想を送ってくれるのは構わないし、私も嬉しい。自分の本を読んでくれたという幸せはやはり何物にも変えがたい。

けれど、その感想に、好きを伝える以上の何かが孕まれていると途端にそれらがこちらに向けられた期待に見えてくる。

それがおそろしい。自分が作品を求められていると感じた途端、そこに承認欲求を満たすような作品を作り出してしまうのではないかと思って怖くなる。

そんな作り方はしたくない。純粋に好きだけで描いていたい。

私が作り出さなくなった時は誰かのせいでもなく、反応がなかったからでもなく、単純に私の心の変化だ。それくらい認めて欲しい。神聖視しないでほしい。完ぺきなことなんかできないんだから。

 

自意識過剰なのかもしれない。感想を素直に感想だと受け取れないからなのかもしれない。疲れもあるんだと思う。

 

だけどそれでも私はこの一言が怖い。

「●●本、まだですか…待ってますから…」

真面目に受け止めてるわけじゃないけど、私は私を消費されているようですごくいやなのだ。

 

この議論はきっと結論は出ないだろう。私にとっては少し息苦しいことでも、誰かにとってみたら勇気になることなんだから。

それを否定する気はさらさらない。でも、私自身のつらさもある。相容れなくていい。ただそういう人間がいるのかと知るだけでいい。理解はもとめないから、「なんでそんなこと言うの?」と言わないでくれ。

 

直接この気持ちが伝えられらようになるまで時間がかかると思うので、ここで言わせてください。ずっとずっと思ってきたことです。

 

私はあなたの萌え製造機じゃない。あなたと同じ、ただのいちファンです。

 

推しカプが恋愛しない

私は腐女子である。

 

そりゃもうどこにでもいる腐女子で、好きなジャンルと好きなcpの話をして、公式からの供給にむせび泣いて、ツイッターで妄想をして、「クラスタ」と呼ばれる同好の士と語り合うオタクで腐女子だ。

 

そして当然のことながらいわゆる二次創作というものもやっている。

推しカプの二人が一緒にいる瞬間とかその理由とかどうしてその二人が絡むことが尊いのかそういうものをふんだんに練りこんで創作をしてきた。時には年齢制限をつけたものも創作した。私の頭の中で二人は付き合っていたし、本編で描かれる以上の関係で、セリフの一文、一描写にたくさんの意味を見出していた。

推しカプは付き合ってる。スケベなこともする。本編で匂わされている描写はきっとその比喩なんだろう。そんな風に作品を楽しむ後ろめたさはいつもいつもあったけれど、その情熱かあるからこそ楽しめるところもあった。

個人的な嗜好なのだけど、私はどちらかといえば、ジャンル自体にどハマりしなければ二次創作をするようなタイプではない。なので一度ハマったら何年も同じジャンルを噛みしめるし、二次創作、同人誌も推しカプで何回も何回もかくような腐女子だった。

そして今も、同じように推しカプというものがある。二人の関係性に萌えて、本編での二人がいるところと会話が好きで好きで、本編に対する考察も、二人に対する考察もたくさんしてきた。

だけど、最近になって気づいた。

なんとなくだけど推しカプに向ける感情が今までとは少し違うことに気づいた。

 

それは、「ああ、この二人は恋愛をしていないんだな」ということだ。

 

何を当たり前のことを、と思うだろう。私もそう思う。当たり前だ、本編は男性同士の恋愛を描いたものではないし、一つ目的に向かっていく過程で生まれていく絆を恋愛とかそういうものにくくって勝手に妄想して楽しんでるだけなんだから。普通に楽しむ分にはこう言う妄想、と言うのは余分なもの。そうやって、作品自体面白いな、で、済ませてるものだってたくさんある。

でも違った。その推しカプは「恋愛していない」んだ。私が好きな彼らは恋愛をしている姿じゃなくて、ましてやそんな放送制限がかかるようなこともしない。本編でそれが描かれるわけもない。

ただこの二人が一緒にいることだけは幸せだった。

いわゆる「カプ解釈」というやつの一つなのだと思う。私が辿り着いた彼らに対する解釈は「恋愛をしない」なのだと思う。

それから、同じジャンルの他のカップリングや他の作品も読んだりしたし、かいたりした。そうしたら、彼らは恋愛するんだ。きちんと好きだと言い合って、朝チュンを迎える。幸せだねって言い合える。だけど、どうあがいても、推しカップリングが恋愛をしない。本編で描かれている以上は何もなく、その描かれていることを深めていくことでしか二次創作しようという気力がなくなってしまった。

 

それから、私は二次創作であからさまな恋愛描写を描くことが少なくなった。いかにして推しカプが互いに影響しあっているか、絆が大きいか、二人が人間としてどう関わっているか、そんなことを書いた同人誌や作品を書くようになった。

よくある二次創作のスケベが読めなくなった。彼らが好きだとささやき合う描写を「解釈違い」と思うようになった。あんなに楽しかったはずのカプクラスタと話すことが怖くなった。「解釈が違う」なんてヒステリー、起こしたくなかった。結果、ツイッターを離れた。

パロディをかいてもオールキャラになってしまって、肝心の二人は愛を語り合わないし手も繋がない。

あんなに好きだった推しカプが、今では「恋愛描写がある推しカプは読めない」なんていうくらいになってしまった。

 

そうなってしまった理由は簡単だ。

わたしはきっと原作の彼らが好きなのだ。自分の中で思い描く彼らは単なる妄想の出来事でしかなくて自分の中で恋愛をしている彼らをわたし自身が否定してしまったのだ。こんなのは違う、これはわたしの好きなA×Bじゃない。そんな風に思ってしまったら最後、彼らにそういう性愛はないんじゃないか、と思いはじめて止まらなくなった。同時に、すぐに恋愛に結びつけようとする自分の浅はかさに自己嫌悪した。なんだか生娘っぽくてちょっと笑えてきた。

 

原作で二人の絡むシーンを読んだら、そこには私が大好きな二人がいた。何度も何度も読み返してセリフを覚えたそのシーンを見ていたら、たくさんたくさん感情が込み上げて来た。

この二人が出会えてよかった、恋愛だけが感情じゃないし、それだけで繋がってるんじゃない、と頑なに言い張る自分がそこにいた。

 

大半の腐女子はいう。

「この二人の関係性が萌えるんだよ」と。

「だから恋愛じゃなくてもいいんだよ」と。

同時にこうも言う。

「それとは別に推しのスケベな顔が見たい」と。そのために二次創作するんだって。

そう言う生き物なんだ、腐女子って。

わかっているからこそ、私だって言いたい。

「だったら恋愛じゃない関係で二人の二次創作してもいいよね」と。

正直、こんなことではてブを書いてる時点で腐女子の戯言でしかないのだけど、夏コミ前に全く推しカプが書けなくなってしまったのでここできちんと自分の中で整理しておきたかった。

カップリングという以上、恋愛要素があればいいのだろうかとも思うけれど、自分が考える彼らはもう違うのだ。きっと二人は二人だけの関係性を築いていって、それは恋愛というもので括られるだけではない。

私が書いていた「恋愛要素のある」推しカプが好きな人もいるだろうし、それを求める人だっているけれど、もうこれはどうしようもない。 

だって私の中で彼らはもう恋愛をしない。

けれど、彼らの関係は続いていくし、私が描けるのはそこなのだと気づいた瞬間から、腐女子としては生きづらくなっていく。それでも、やっぱり「恋愛しない推しカプ」を思い描くのである。

 

…もしかしたら明日恋愛してるかもしれないな、と時折よぎるけれど、そればかりはやっぱり何とも言えない。